先日、南アフリカのコンタクティーの本を翻訳している話をしました。現在、3分の1ほど終了したところです。もう15年以上前に読んだ本だったので、内容の詳細に関しては、訳しながら思い出しています。そして、改めて感じるのは、50年代のコンタクティーたちを通じて宇宙人から得た情報を我々はずっと誤解してきた、いや、70年代あたりまでは誤解がなかったのかもしれませんが、その後、加速度的におかしなことになったことです。
それは、宇宙人が自然との同調を力説していながら、我々はそれを環境問題にすり替えて捉えてしまってきた点にあると思います。また、我々は太陽に対して為す術もなく、その影響を受け続けてきた訳ですが、そんな自然現象をも人為的な環境問題に取り込もうとしてきている面もあるように思います。
近年話題の地球温暖化、二酸化炭素排出量、PM2.5だけでなく、花粉症対策や生物多様性といった言葉での環境問題への取り組みですら、本質を見失ってきた結果と思えてなりません。50年代のコンタクティーから得られた情報は本質を突いていたのですが、いつの間にか、我々は表面的なことしか見ないようになってきてしまいました。
ご存知のように、近代の我々はいわゆるUFOに対してスクランブル発進し、攻撃を加えてきた凶暴な種族です。そして、ひとたびコンタクトが確立されるや、今度は、UFOの推進原理のようなテクノロジーのみを欲しがります。彼らの文明を知ることよりも先にテクノロジーに関心が向かってしまいます。
彼らのテクノロジーはあくまでも結果です。地球温暖化も二酸化炭素排出量も生物多様性の問題も結果の問題であって、それ以前に考えるべきことがあるはずです。外見や数値を整えれば、地球が健康になれる訳ではありません。地球の立場になって考えずに、排出した二酸化炭素を圧縮して地底・海底に埋め込むような行為での数字合わせなど、その最たるもので、地震など新たな問題の創出に繋がるでしょう。
多くの研究者が気づきつつあるように、宇宙エネルギーを利用したテクノロジーは、万物との同調に鍵があります。我々は原発事故を起こしても人間に及ぶ有害性しか考えません。村、町、都市を生み出し、便利な生活をするために、我々は様々な動植物を殺してきましたが、そんな行為を振り返ることもなくなりつつあります。せめて人間同士が同調できていれば…と思いますが、戦争や不和は至る所にあります。有害な物質の影響よりも、自然と同調できていないことが原因で我々は、頭脳、精神、肉体において様々な病気に陥ります。
我々は当たり前のことができていないので、当たり前のことを見落としているのではないかと思います。宇宙人たちはこのような環境問題とは異なり、自然との同調を力説しています。この世界は、生物同士が同調するようにデザインされていながら、我々はそれに逆らおうとしているように思います。
人間同士仲良くしようと努めたり、瞑想する人々もいますが、人間と人間との関係や、人間と社会との関係のように、必ずしも他の動植物たちと同調しようと考えていなかったり、多くの人には偏りが見られます。私の場合は相対的に人間軽視かもしれませんが、動植物に対する意識も宇宙人にはまったく及ばないでしょう……。
意識の面で自然と同調した生活をしていれば、実際の生活でも同調していて、おそらく環境問題を成分や数値で捉えることも起こっていなかったと思います。また、UFOを飛ばすような原理は既に思いついていたと思います。環境問題への取り組みが自然との同調にシフトしていく必要性があると思います。
UFOで地球を訪問する宇宙人らが、我々地球人と広く交流できるようになるには、まず我々が地上のすべての動植物を愛し、同調することが大前提にあるとしています。そして、文明の進化度はテクノロジーではなく、他者(人間を含めた全生物)への同情の度合いで測れるといいます(もちろん、必ずしも精神的に進んでいない宇宙人たちは存在するでしょうが、ここでは除外しています)。
集団的なコンタクトは50年代に成功裏?に完了したとは言え、その際に得られた情報の普及は失敗に終わったと同然で、人対人の繋がりだけでなく、人対生物の繋がりも希薄な社会、つまり、歪められた環境意識や経済優先社会の弊害により、同情度の低い状態へと退化しつつあるようです。
残念ながら、自然との同調がすべての出発点になることに我々が気づき、方向転換を行うようになるには、科学的な発見を待つ必要がありそうです。例えば、植物同士が同調したり、細胞同士が同調し合う現象は既に発見されていて、すべてが繋がっているという現実は一部では科学的に知られているのですが、無視されてきたため、このような現象が、医療現場で治療に応用できるようになって、ようやく人々は万物への愛と同調が健康の源であり、知識や科学などの発展にも繋がることを身をもって知るようになるのではないかと思います。(例、同調を拒む病人はなかなか癒されませんが、ひとたびそのブロックを外せば、同情度の高い健康な人々に囲まれる程度で癒されるといった現象を、いわば、科学的・医学的に加速・強化する治療や、同調により万能性すら示す細胞をさらに万能化させて再生に役立てる治療等)
そのような意味で、以前に触れたように、ガンをはじめとした自己免疫疾患や各種慢性病などの治療に抗菌療法はてっとり早く有効ではあるのですが、その普及によって、さらに本質を知ることが遠のいてしまう懸念もあります。ガンという腫瘍は我々を守るために作り出されたものでありながら、それを強引に取り除こうとすれば逆効果となり、炎症を引き起こす治療によって死期を早めることがあります。環境問題もそれと似て、外側から見えた問題にだけに取り組んでも、一つの問題を解決するために他に問題を生み出すような現実に気づかず、地球として、あるいは、文明としての死期を早める可能性も出てきてしまいます。内側(意識)だけでなく、地球や動植物たちの視点(幅広い視野)から取り組めば、実は不必要なこともあった点に気づくかもしれません。
実は、今度の本で記された内容は、半年ほど前に出版された拙著『聖蛙の使者KEROMIとの対話』と通じるところが多いという感慨を持っています。忘れていましたが、欧米で50年代から60年代にかけて、地球空洞説が注目された際に同様に話題に上ったテーマではありますが、やはり、太陽からの有害な放射線・電磁波が人類史を形成してきたことが記されています。この問題は、かつて地球に一時的に避難した人々にとっても同様で、地球を離れなければならなくなった最大の理由とのことです。因みに、大昔、南極に地下基地が建設され、それが現在も残されていることは様々なコンタクティーからの情報から知られていますが、当時、南極はまだそれほど寒くなく、人間も住んでいないだけでなく、有害な放射線・電磁波の影響を受けにくいことから選ばれたようです。
現在、地球は長いスパンでは寒冷化への動きの中、短期的には温暖化による異常気象が見られ、もちろん、環境破壊の影響は無視できないのですが、必要以上に環境問題として捉える傾向も見られます。特に、太陽の影響は無視できません。環境問題は結果の問題と言いましたが、自然との同調の結果、つまり、自然環境を労わり、同調度が改善した結果、それでも観測される変化に関しては、必ずしも環境問題として捉える必要性はない訳です(もちろん、現段階では努力はほとんど為されていないため、謙虚に環境問題とみなすのであればよいでしょうが)。異常気象のいくらかは、不安定な太陽が起こしている面もあり、表面的な環境問題に意識を向けることで、真に大切なことに対して我々は盲目となっているところもありそうです。
地球の文明に関する問題点は、ミシェル・デマルケ氏が(『超巨大[宇宙文明]の真相』において)ティアウーバ星のタオから指摘されたように、かなり手厳しく書かれています。
今度の本は、当局監視の下で、著者が宇宙人と出会い、子供をもうけたという稀有な点が注目されて読まれるのだと思いますが、個人的には、その問題よりも、地球の課題だらけの現代文明から抜け出すヒントが書かれていることに注目して、未来への参考にしてほしい本だと思っています。
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